MOIAUSSIBE/モーアシビー(もーあしびー)

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第18回フリースクールレポート! キャンヒロユキ×前泊憲作【トーク編】

2019年9月22日に開催された第18回モーアシビーフリースクール。
ゲストは放送作家のキャンヒロユキさんと、ヘアメイクアーティストの前泊憲作さん。
ご来場頂いた皆さま、ありがとうございました!

第1部トークショー「BE YOURSELF!」

第1部トークショーは、沖縄県立図書館で開催。
キャンさん、前泊さんが、ふだんから親交の深いMCのひーぷーさんを交えて、3人で楽しいクロストーク!

まずは、お2人のプロフィール紹介から。
この仕事に就いたきっかけや、これまでの道のり、現在の活動など、多岐にわたるエピソードが飛び出しました。

 

ひーぷーさんから「沖縄における放送作家の第一人者」と、紹介されたキャンさん。最初に放送作家という職業を知ったきっかけは、かの人気お笑いコンビ、ダウンタウンでした。

中学生のころテレビで観た「花王名人劇場」での漫才に衝撃を受け、一気に大ファンに。その後、夢中で観ていたダウンタウン出演のバラエティ番組「夢で逢えたら」の中で、スタッフクレジットに「構成」という文字を見つけたそうです。テレビやラジオには台本があり、構成を考える放送作家という人がいる。それを知って以来、キャンさんにとって放送作家は憧れの職業となりました。

 

大学時代から、沖縄のお笑い団体「FEC」に所属。「FEC」の創業者である山城達樹さんは、沖縄のお笑い界の確立に奮闘した方です。

「山城さんに放送作家を目指していることを話すと、とても喜んでくれた。僕にとって同志に出会った感じでした。まだ放送作家という職業が沖縄に根付いていない時代に、どうやったら、その道を切り拓いていけるのか。『沖縄が絶対に変わる! もっとおもしろくなる!』という想いで、一緒にいろいろ夢を話しました。山城さんは、それからすぐ若くして亡くなってしまったけど、あのとき話した思い出は今もずっと心に残っています」(キャンさん)

「FEC」では、テレビ、ラジオの構成に携わるほか、自らが表舞台に立ち、コントや漫才を披露する芸人としての活動も。

大学を卒業した後は上京し、吉本興業養成所である「東京NSC」に5期生として入学。お笑いコンビ「水色桔梗」を組んで数々の舞台へ出演。卒業後は、講師アシスタントとして芸人の育成にも携わりました。

故郷の沖縄に戻ってからは、「よしもと沖縄エンターテイメントカレッジ」で芸人コース講師として活動する傍ら、放送作家として活動。現在は、「よしもと沖縄エンターテイメントカレッジ」や、沖縄のお笑い事務所に所属する芸人のネタ見せに参加し、アドバイスを行っているのだとか。

キャンさんは、MCのひーぷーさんがメインパーソナリティを務めるバラエティ番組「ひーぷー☆ホップ」の構成も担当。もう11年近くタッグを組んでいる旧知の仲です。

「飲んでるときに、僕が話したことをものすごいメモしてるんですよ」(ひーぷーさん)

「メモは大事。ふっと出て笑えた話、すべてがネタになる」(キャンさん)

お2人からは、沖縄のお笑いの歴史も紹介。戦後に「ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」と村々を訪ね歩き、人々を励まし続けた小那覇舞天(ブーテン)さんのこと。舞天さんを敬愛し、そこに同行していた照屋林助さんの漫談芸「ワタブーショー」のこと、口語的な方言の『うちなーヤマトグチ』で人気を博した玉城満さん率いる「笑築過激団」のこと。貴重なお話が聞けました。

前泊憲作さんは、プロフィールに「美容師を超えた存在」と、気になる一文が。ひーぷーさんから「これ、自分で言ったの?」と突っ込まれると、「まさか!(笑)」と照れ笑い。本職は美容師で、那覇市「JAG☆STANG」と宜野湾市「PEZZICA」のサロンオーナー。でもそれ以外に、さまざまな活動をしていることから、「美容師を超えた存在」と称されることになったそうです。

 

現在は、自らのお店でカットするのは月に一度のみ。そのほかは、故郷の宮古島にてエステサロン経営や、年に一度開催されるイベント「MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVAL」の実行委員、子どもの夢、大人のワクワクを育てるワークショッププロジェクト「夢と学校」、県内の美容師によるヘアショー「ハサミのちから」、自らもDJとして出演するイベント「ビヨウシナイト」などのオーガナイズで奔走する日々。

さらに、「きれいな海を守りたい」という想いから構想8年、開発3年をかけて完成させた、人と環境にやさしいヘアケアシリーズ「Sesta」など、オリジナルプロダクトの制作も手掛けています。

3歳から小学校2年生まで名古屋に住んでいたという前泊さん。「今の姿からは想像できないかもしれないけど、小さい頃は四日市喘息にかかって病弱な子供だったんです。父が亡くなったのをきっかけに、空気がきれいな宮古島に帰郷して元気になって、中学からグレました(笑)」

美容師を目指したきっかけは、そんな荒れた生活を見かねたお姉さんからの言葉。「母さんに迷惑をかけないように、手に職を持って早く稼げるようになりなさい」。

そこから将来を考えるようになり、「室内の涼しい場所で働けるから(笑)」という理由で美容師になることを決意。琉球美容学校に入学し、卒業後は神奈川県の人気サロンで技を磨く日々を送りました。短期間でスタイリストとしてデビューし、美容師としての自信が確固たるものになると、次なるビジョンとして独立を考えるように。26歳で沖縄に戻り、サロンと古着屋とバーが一緒になったお店をオープンします。

「この時期が一番つらかった。オープンから6年ずっと赤字続きで、借金もあるし、毎朝シャワーを浴びながら涙を流して死ぬことばかり考えていました。母親にお金を援助してもらって始めたことだし、どうしても成功するまでやめられない、やめたくない。そんな辛いときって助けてくれる人が必ず現れるんですよね」

さまざまな人からのサポートにより困難な時期を乗り越え、もうすぐ15周年を迎える人気サロンへと成長を遂げた「JAG☆STANG」。実は、沖縄で一番カット代が高いサロンとして有名だとか。

「開業時のカット代金は2500円。それから徐々にアップして、今は1万円超えです。昔、沖縄でヘア&メイクの仕事を受けたときにタダ同然のギャラがあって。地方だから、沖縄だからという理由でそうなっているなら、それはどうなのかな、と。自信を持って確かな技術を提供するなら、プロとしてそれ相応の対価を受け取る権利があるし、なにより沖縄の美容の価値を高めたいなと思ったんです」

トークは、その話に通じる「才能の対価」の話題へと進展。前泊さんとキャンさんは、「才能にお金が発生していることを伝えたい」と、フリーランスとクライアントをつなげるエージェント会社「FRONT ACT」を一緒に運営しています。

「沖縄のクリエイターは才能をきちんとお金に変えられていない場合が多くて、それはもったいないなと思い会社設立を考えました。日本は事務所雇用となるマネージメントが主だけど、海外は、本人に変わってクライアントと契約交渉をするエージェントが基本。このエージェント業務を僕らが行うことによって、フリーランスの人が技術に沿った適正なギャラを受け取れるようにしていきたいと考えたんです」(前泊さん)

「独立した人がちゃんとしたお金をもらえてない、買い叩かれているという現状もあって。それに太刀打ちするためには、スキルの高い交渉術が大事だなと感じました。でもフリーランスで本人が交渉するのは難しいという人も。そういう人に代わって、条件を良くする手助けができたらいいなと。たとえば、拘束時間を減らすために打ち合わせは何回までとか、そういう細かい部分まで交渉して、サポートを行っています」(キャンさん)

「FRONT ACT」とは「前座」という意味。「後から来る人が難儀しないように。自分たちが前座としてあっためておくから、これからの若い世代のクリエイターたちも恐れず夢を追いかけてほしい」。そんな思いが込められているそうです。

客席からの質問コーナーでは、おそらく会場の全員が気になっていたであろうキャンさんのTシャツ「ハッピーハンバーグ」の話題に。「どうしていつもそのTシャツを着ているんですか?」という問いに、「そう言われるために365日着ているんです(笑)」とキャンさん。

「突っ込まれてほしいってことでしょ。話しかけてほしい人のワザですね」(ひーぷーさん)

「あなたと私と、このTシャツを介してつながっている。そこで関係が生まれるんですね。『なんかおもしろい人がいる』と覚えてもらうことが大切だと思うんです。しかもこのTシャツには『ハッピー』と入っているから誰も怖がらない(笑)。好印象を持ってくれる人が多くて嬉しいです。もう5年間毎日着続けているけど、実際ハッピーなことがいっぱい起こってる。僕が作ったTシャツじゃないけど、他県に比べて沖縄での売り上げがいいみたいだし(笑)」(キャンさん)

 

会場からは、「自分の作品に自信を持つにはどうしたらいいですか?」という質問も。

 

 

「1日に50人のカットを担当していた頃から比べると、今カットするのは月に一度。ハサミを持つと正直緊張します。でも技術の衰えを感じたことはないし、自信は変わらない。むしろ前より自由になれた気がします。自信を持ち続けるためには、挑戦し続けること。それから、信頼できる仲間の存在も大事だと思います」(前泊さん)

「クライアントが要望しているものにどれだけ近づけるか。僕の仕事は、それが第一です。その上で、作品の中に自分なりの味つけをしていく。どれだけ自分の味を出せるかってことが大事で、それが伝わったとき自信を持てる気がします。完成したものを観たり聞いたりしてくれた人が『あれ、キャンさんの作品だよね?』とわかってくれたときは、本当に自信に満たされるし、なによりすごく嬉しいです」(キャンさん)

これに対して「僕なんか、まったく自信ないときありましたよ」と、ひーぷーさん。

「台本を書いた劇団の舞台が、毎回ウケたスベったの繰り返し。スベったときなんて世界中がみんな敵だと思っちゃう(笑)。それであるとき、とある先輩の方に『1回も100%がない』と相談したら、『100人中100人全員がウケるのはおかしい。7:3くらいがベストなんだよ』と言われて。どんと構えて、わかる人にだけわかればいいんだと思えるようになりました」

自分の作品を褒めてくれる人もいれば、けなす人もいる。ひーぷーさんは、続けてこんな話もしてくれました。「ラジオをやっているとき、ディレクターの方が言ってくれた言葉なんですけど、『あなたのことを嫌いな人は無視すること。そこにエネルギーを費やすのはやめなさい。それより、あなたのことを好きな人を増やしなさい』と。そのアドバイスにすごく助けられたんです」

道を切り拓く上で、とある人の、とある言葉は、大きな光となることがありますね。
第1部ークショーは、ひーぷーさんが教えてくれたあたたかいエピソードで締め括られました。

第2部ワークショップのレポートに続く。

PHOTO/KEITA HIGA

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